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2014年7月19日土曜日

話せばわかる  PTAニュース2014年度第1号

PTAニュース2014年度第1

「話せばわかる」

先頃発行された進路資料集の中に、昨年ニュージーランドのラザフォードカレッジに2ヶ月半留学した田中佑宜君(現在芝浦工大の1年生)のレポートが掲載されています。その中に「中国人やブラジル人と話す機会がたくさんありました。今の日本は外国との関係が悪い状況ですが、良い経験ができました。」との一文があります。以前、同じように芝浦工大の早期推薦でアメリカに留学していた学生もまったく同じ発言をしていました。「自分もあまり中国にいい感情をもっていなかったし、中国人は皆日本人が嫌いなのだと思っていた。実際話してみたら自分の国の批判もするし、日本に対する感情も人によって異なるということがわかりました」。

 報道やネットがもたらす情報は必ずしもその国やそこに住む人たちのことを正確に表現しているわけではなく、ましてや人間は一様ではない。冷静に考えればこんな当たり前のことに、留学ではじめて気がついたというわけですが、私はこのことだけでも留学した意味があったと思います。彼らは中国人の実相の一部に切りこみました。この時、彼らは日本国内人から国際人へと脱皮したのです。対話こそが誤解を解く唯一の方法であることを実践してみせてくれました。しかもそれが、アメリカやニュージーランドという第三国という舞台で、これも第三国の言語である英語によってなされたということに、私は深い感動を覚えます。

 ちなみにくだんのアメリカの彼は、韓国からの留学生と最も仲良くなり、現在も交流が続いているそうです。留学先のカリフォルニア大学・アーバイン校の英語クラスには多くの人種・国籍の人が学んでいます。彼とその友人の間に、また中国人との間に、同じ東アジア人であるという気安さ・親近感があったことは間違いありません。


20146月 校長 大坪隆明

ゲームクリエイターになりたい君へ 進路資料集2014巻頭言

・ゲームクリエイターになりたいだぁ?

毎年高校3年生と面談をしていると、ゲームクリエイターになりたいという生徒が56人はいる。どうしてゲームクリエイターになりたいのかと聞くと、たいがいはこう答える。「ゲームは楽しい。ゲームの世界は奥深い。自分がもっとすごいゲームを作って世のみんなを楽しませたい」。そう思っていながら「ゲームソフトを自分で作ったことがあるか」と尋ねると、ほとんどの生徒が「ない」と答える。「じゃあ、君の言うゲームクリエイターはどうやればなれるの」という問いにも答えられない。“趣味が仕事になれば嬉しい”なんて甘さがプンプン臭ってくるので、「好きっていうだけでなれるほど甘くないよ。プログラム作るのは大変なことだ。経験もないんでしょ?単なるユーザーでいた方が気楽でいいんじゃない?」などと嫌味を言うのだが、「いや、だから大学に入って勉強するんですよ」、「好きこそものの上手なれと言うじゃないですか」と反論が返ってくる。まあそれももっともだ。ただ、“なりたい”と言うからには、どうすればなれるのか、どんな知識・技能が必要か、それぐらいは自分で調べておいて欲しい。これはどんな仕事にも当てはまる。

・ゲームクリエイターは大勢をまとめる仕事

ちなみに“ゲームクリエイター”というのはマスコミ用の聞こえのいい職名で、大手ゲームソフト会社ではプランナー、プログラマー、デザイナーなどと仕事が細分化されている。ゲームは何十人、何百人の共同作業によって作られる。ここがマンガや歌や小説と最も異なる点だ。これらが基本的には一人の作家によって作られるのに対して、ゲームプログラムはとても一人では作れない。それほど複雑で巨大だ。その点では、ビルを建設したり、映画を作ったりするのに似ている。とするとゲームクリエイターというのは建築設計士や映画監督に近い職業だろう。多くの人に指示を与えながら、細部を効率よく組み立てていき、全体を完成させる。そう、これこそが君たちがサイエンステクノロジーアワーで体験した“プロジェクトマネージメント”の実際だ。すなわちゲームクリエイターはプロジェクトマネージャーなのだ。

・ゲームはコンピュータプログラム。だからまずプログラミング。しかし、、、

建設の監督も映画の監督も、共に長年の勉強と下積みを経てようやくできる仕事だ。それと同じく、いきなりゲームクリエイターにはなれない。まずゲームが動く仕組み、すなわちプログラムを学ぶ必要がある。
ここでいくつかの誤解も見受けられる。まず一つ目は、「大学の情報工学科に入ればプログラムが書けるようになる」という誤解。情報工学部では確かにプログラムを書く練習はするが、それだけで全員がバリバリ書けるようになるかというと、決してそんなことはない。ただ最も身近な学科であることは事実だ。しかし最終的には全部自分で習得しなければならない。世のプログラマーはほぼ全員が独習でそのスキルを身に付けた。外国語学部に入ればその外国語が話せるようになるというのと同じ誤解。言語を身につけるためには自分で必死で努力するしかないのだ。
もう一つの誤解はゲームクリエイターになるには専門学校のほうが早道だというもの。確かにプログラミングやコンピュータグラフィックスの習得なら、それしかやらない専門学校の方が早いだろう。君が作りたいのがスマホ上動く、タダで遊べるパズル程度ならそれでもいい。でも君が作りたいものはそういうものか?もっと人を感動させられる物語、世界を作りたいと思っているはずだ。だとすると、プログラムの技能だけ学べばよいということではないことは明らかだ。経済、文化、科学など広い教養が最後はものをいう。
ちなみにゲーム作りのためにはメモリーや通信などハードウェアの知識もあるとよい。3Dでキャラクターを動かすには行列や三角関数などの数学の知識は必須だ。つまるところ情報工学科だけでなく、電子工学科でも通信工学科でも数理科学科でもよいということになる。ただし、大手ゲーム会社が共通して条件としていることがある。それは“英語力”。ゲームはグローバル商品なのだ。


ゲームクリエイターになりたい君へ、今すぐ“使うだけの人間”から卒業して、“作る側の人間”になろう。そうすれば夢はかなう。

3つの言葉をどう勉強してきたか その3 日本語

<日本語>

私は別に人より話し言葉・書き言葉が上手だとは少しも思っていない。特に「共感させる話し言葉・感動させる書き言葉」は言っている自分もまるで自信がない。ただ「納得させる話し言葉・理解できる書き言葉」ぐらいは何とかボーダーラインかなとは思う。

日本語を勉強した覚えはないが、訓練した覚えはある。主に大学の時。歴史の研究会だったのだが、年に1本の論文や毎週の学習会での発表・意見交換が課せられていた。そこで参考になったのは先輩の文章であり先輩の発言の仕方である。特に議論の場においては、先輩たちは皆最大限論理的であった。事実と論理を組み上げて相手を論破する、そのような議論をしていた。私も入部当初から唯物史観や唯物論的弁証法の書籍を読まされたが、先輩たちはそれを会得とまではいかないまでも大いに影響を受けていた(ちなみに部室にはマルクスとエンゲルスの肖像画が飾られていた)。私自身もそうした議論の仕方を真似するようになった。
 
 このような議論の仕方の良い点は、まず相手の話を全て聞くということである。途中で邪魔をしない。一通り聞いてから反応する。そのこと自体がプラスであり、聞き上手とも言われる。反対に悪い点は、全てを聞いて、相手の話の矛盾点や論理的弱点を突こうとするいやらしい根性が身についてしまうことだ。ディベートにはいいが、恋人との話にはまるで向いていない。

書き言葉はサークルでの論文と機関誌執筆、レジュメ作成などがあったので、大学の厳しいゼミかそれ以上の文章量は書いたと思う。また一方でマスコミに就職すべく作文練習をやっていた。今思い出してみて参考になったのは、朝日新聞記者の本多勝一著『日本語の作文技術』である。これは新聞記者によるわかりやすい文章の基礎を解説したもので、例えば「刑事は血まみれになって逃げる犯人を追った」という文では“血まみれになった”のが刑事なのか犯人なのかがわからない。これを明快にするために読点はどう打つべきか、語順にどう気を配るべきかなどが書かれている。これを読んだときは目からウロコが落ちる思いだった。

また毎日新聞記者からノンフィクション作家に転じた早瀬圭一氏の講演を聞く機会があり、その中で氏は確か次のような事を言った。「自分が好きな作家の文章を何度も何度も書きうつして、その息づかいを自分の中に取り込んでいった」。私もそれを真似して漱石の小説を書き写すことをやってみた。それ以来、“文章は一つの文をなるべく短く”、“文章全体はリズムと文体統一に気をつける”程度は意識している。

今振り返れば、プロの物書きになろうと思ったわりにはお話しにならないぐらいの練習量だが、その他の仕事をしていくうえでは足りていた。文章や発表を職歴の中で直接評価されたことはないが、下手で不利をこうむったことはない。どちらかと言えば有利に働いてきたと思う。
話し言葉はなかなかだが、書き言葉は練習すればするだけ上達することは間違いない。

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ここまで書いてみて、我ながらどれもあきれるほど中途半端だ。こつこつ努力を続けることができない、飽きっぽい、落ち着きがないという自分の弱点を改めて書き出してみることはあまり気分の良いことではない。これを読んだ方、3つの言語も現代ではこの程度では済まないということはぜひ心してほしい。

3つの言葉をどう勉強してきたか その2 コンピュータ言語

3つの言語と名付けているからコンピュータ言語と言っていますが、意図するところはプログラミング言語だけでなく、広い意味でのコンピュータの運用能力です。ハードウェア、OS、データベース、ネットワーク、Web、アプリケーション、そしてプログラミング言語。それらの知識を備えて仕事の業務改善につなげられるか。社会で求められる頻度・重要度は英語以上です。
 今、スマートフォンやタブレットが普及し、家庭ではパソコンが不要になってきています。しかし企業内では「データ処理」は減るどころかさらに巨大化・複雑化しています。現在は外部の専門家に分析を依頼しているビッグデータも、近い将来は自社内で取り扱うことが普通になってくるでしょう。


<コンピュータ言語>

元来が新しいモノ好き、機械好きなので、初めて他人のワープロ(当時はワープロ専用機)を触ってみた時には本当に感動した。今から30年ほど前、1985年頃の話である。早速お金を貯めて買った。当時25万円以上はしたと思う。仕事で使ってタイピングを覚えた。

30歳過ぎて転職した先では顧客名簿の作成と宛名書きの仕事が私に割り当てられた。私は字が汚いことにコンプレックスを感じていたので、この仕事が大嫌いだった。1年我慢したが、ついに上司にこう申し出た。「住所管理専用のパーソナルコンピュータを買うか、バイトを雇うか、外部業者に委託するか、どれかにしてください」。上司は意外にもパソコンを買うと言い出した。これには少々びっくりした。上司は機械嫌いだったのだ。

 新年度には職場にほぼ私専用のパソコンが来る(当時は1課に1台程度だった)。言い出したからには使いこなさなければということで、1993年の冬のボーナスでパソコンを買った。さんざん迷って迷って、当時秋葉原に3回は足を運んだと思う。買ったのはおよそ30万円のブラウン管一体の機種。これでも安いほうだった。当時DOS/VWindows3.1が乗り、ようやくパソコンが普及のきざしを見せていた時だった。

 この最初のパソコンは私の格好のおもちゃとなった。メモリーを増設し、ハードディスクを交換し、しまいにはメイン基板ごと取り替えるなどして長く使った。その過程でコンピュータのハードウェアがわかってきた。また当時のWindowsはとても不安定で、アプリケーションソフトウェア(今で言うアプリ)を導入するとしばしば動かなくなることがあり、その度にフロッピーディスク十数枚分のWindowsを再インストールするはめになった。そこでまたOSとメモリーの基本的なところを知ることができた。

また当時ハマったのがニフティ・サーブという当時最大手のパソコン通信だ。パソコンの改造などの情報はほとんどここで得た。まだインターネットが普及する前の話で、アナログ電話回線を使った文字だけのネットだった。スポーツや文化など様々なフォーラムという掲示板があった。今で言えば画像やリンクのない2ちゃんねるみたいなものだ。匿名のネット上で意見をやりとりすることの難しさは今も当時も一緒で、私もネット上の発言をめぐって後味が悪くなる経験を感度かした。ちなみにインターネットが家庭に広まるのはWindows95が発売される1996年以降である。

 職場では手作業の仕事をパソコン上に移すことに熱心になっていた。仕事のスピードアップとミスの減少が図れると思ったからだ。例えば、それまでは顧客の入金を紙の台帳に日付印を押し、毎日金額を集計していた。これをパソコン上でできるようにしてみた。もちろん顧客管理と資料発送も手書きから解放された。それを実現するために、自分ではかなり投資して勉強したと思う。エクセルの関数を覚え、マクロで作業の自動化を試みた。テーブルやマスター、クエリーなどデータベースの初歩を学んでエラー処理を組み込んだ入力フォームを自作したりした。

こうした経験の積み重ねもあって、当時会社では情報処理部門の技術者を除けば最もパソコン利用技術を知る者となっていたと自分でも思う。自部署だけでなく、請われて他部署の業務改善やシステム導入の手伝いを行ってきた。業務改善にパソコンを使うわけだが、パソコンで何ができるのかが分からなければ提案もできない。その点でパソコンの利用技術というのは英語ほど派手ではないが、実は全ての業務を支える基盤技術とも言えるのだ。
 

2014年4月7日月曜日

3つの言葉をどう勉強してきたか その1 英語



私は生徒たちにみっつの言葉を勉強しろとしつこく言っているわけですが(の言語を操れるようになろう 2013年度「芝生」巻頭言参照)、なぜそのような事を言っているのか、こんどは自身の体験から書いてみたいと思います。経験的にはどれか一つではダメで、少なくとも二つ以上に秀でていた者は“使える人間”と見なされ、実際に使われることで成長し、評価されていったと思います。私の場合、全てがほどほどなのですが、それでも3つs少しずつできたので、たいぶトクしてきたような気がします。「なんだこの程度か」と思える参考に、ヒマならご一読ください。
では、英語、コンピュータ言語、日本語の順でリリースしていきます。


<英語>
 生まれて初めての海外旅行は大学生の時のインド・ネパールだったが、かの国はご存じの通り旧英領の多民族国家なので英語が共通語になっている。着いて早々、ジュース屋でジュースをこぼして「Sorry!」を連発したら、口ひげの渋い店主が「No problem!」と言ってテーブルを拭いたくれた。「おおっNo Problemをここで使うか」などといちいち感心したのを覚えている。旅の中ではwhere, which one, what time, how long などの疑問文を作って投げかければ、ある程度予想される答えが返ってくるので何とか聞き取れる。どうにかなるものだ。こうした英文は全て中学で勉強したとてもシンプルなものである。

 この旅の中で大いに英会話の勉強になったのが、旅先でのルームシェアの体験だ。一人で旅をしていると同じく一人の欧米から来た若者から声がかかる。例えば移動の列車の中で、「どこへ行くんだ?そこなら私と同じだ、一緒にホテルをシェアしよう」という感じ。ホテルはほとんどが一室2人用なので、一人で泊まると割高になる。行く先々でドイツ、スイスなどの学生とそれぞれ4、5日ほど宿を共にした。夕食はたいがい一緒に食べたし、寝るまでに時間もたっぷりあった。Where, What timeなどの旅の英会話と違って、ここは自分自身を語る必要がある。お互いの国情や考え方、インドという国についてなど様々なことを話した。といっても自分の言いたいことの半分も言えなかったし、相手の言うことの半分もわかっていなかったのだが。カトマンズで一緒だったイタリア人などは会話の最中に私が頷いていると、「おまえ本当にわかってるのか?」などとよく聞いてきた。いずれにせよこうした体験が私の英会話のスタートラインになっている。

 さて大学卒業後も思い出しては英会話の勉強はした。基本的には我流の自学である。生来の飽きっぽさが災いしたが、それでもやりきったことがふたつ。ひとつは、ちょっと以前まで盛んに新聞広告に出ていた、オリジナルストーリーを有名人が朗読する教材。毎月送られてくるタイプのもので、結構高額なものだ。友人が投げ出したものをタダで譲り受けた。12か月分全てディクテーションした。もう一つはシンガポールで買った幼児向けの絵本。こちらもカセットテープが付いているがとても安かった。シャーロックホームズのシリーズなどを、これも全てディクテーションした。「80日間世界一周」などは物語の始めの数センテンスは今でも暗唱できる。


 東南アジアで暮らしていた時、ブロークンな英語で特に不便することがなかったことをいいことに、上達したいとは願ってもその努力を続けていくことができず、結局は中途半端な会話力に終わってしまった。これは今でも悔やまれる。悔やまれるので今でも英語を勉強したいと思うことがある。使うか使わないかは二の次、勉強するかしないかだ。年を取ってもそれは変わらない。ああ、これでまた英会話教材が増えてしまう・・・。

・・・コンピュータ言語につづく


平成26年度中学校入学式 学校長告辞

平成26年度中学校入学式 学校長告辞

 新入生のみなさん、入学おめでとう。今日から中学生ですね。これまで皆さんは受験勉強をしてきて、見事に合格してこの芝浦工業大学中学校に入学したわけです。大いに自信を持って、誇りに思ってください。

 さて、皆さんは今ここで、同じスタートラインに着きました。皆 横一線。今日からヨーイ・ドンです。じゃあ今からどんなレースが始まるかというと、短距離走ではありません。長いレースになります。それもコースは平たんじゃありません。上り坂、下り坂、石ころだらけの道、時には水につかりながら対岸に渡ったりするような、そんなレースです。

 レースというからには競争です。でも戦う相手は時に友達でもありますが、おおくの場合、自分自身です。まずはゆっくりマイペースで走っていきましょう。抜かれることもあるでしょう。でもペースを守っていけばすぐに追い付けます。調子よくなったらスピードを上げましょう。もしそんな調子のいい時に、友達が道端でうずくまっていたら、どうしたんだと声をかけてください。けがをしているなら肩を貸してやり、くじけそうになっていたのなら 話を聞いて励ましてやってください。そして時には友達と全力疾走で勝負してみてください。あいつに勝ちたい。そういう気持ちは大切です。

レースの競争相手は 多くの場合自分自身だ、っていうことはどういうことか、もう皆さんならわかりますよね。いやだな、つらいな、めんどうくさいなー、やめちゃいたいなー と思ったときでも、投げ出さないことです。マラソンなら止まらないこと、ゆっくりでもいいから前に進むことです。
 いま、私がお話した「走る」ということを、「勉強する」に置き換えて考えてみてください。これまで皆さんは入学試験に合格するというゴールが見えていて、そのために勉強してきたわけです。しかし今はまだスタートライン。ゴールは見えません。時に辛いことも嫌になっちゃうときもあるかもしれない、でも、それでも、毎日勉強をし続けていかなければいけませんし、また続ければ最後に大きな喜びがまっています。友達と時に競い合いながら、励ましあいながら勉強を続けましょう。中学生になるっていうことは、そういうことです。
 もちろん先生たちは全力で君たちを手助けします。そして先輩たちも、君たちを温かく導いてくれるでしょう。

 保護者の皆さま、今日までご子息を成長を見守り、晴れて今日の中学校入学を迎えられた皆様に対しまして、心よりお慶びを申し上げます。おめでとうございます。おそらくは生徒自身よりも、皆様のほうが、今この時、不安のほうが大きいかと思います。私たちとしましては、ただひとつ、「息子をこの学校に入れてよかった」と6年間、いや卒業後ずっと、思っていただけるように、全力を尽くして教育してまいります。入学後、いろいろとご理解ご協力をいただく場面が出てくるかと思いますが、末永く、よろしくお願い申し上げます。

結びに、入学した皆さんにこの学校の「校訓」の言葉を授けます。校訓というのは、この学校の生徒みんなの目標です。みっつあります

 ひとつめ、敬愛の誠心を深めよう
 敬愛とは、人を敬い愛する気持ち、誠心とは、誠の心です。差別区別をせず、どんな人にも心から尊敬する気持ちをもって人と接すること。そうすれば、自分自身も幸せになるし、ひいては世界も平和になります。その心を持とうということです。小さなことで人を恨んだり、ねたんだりましてやいじめたり、だましたりすることは、この学校では一番してはいけない、卑怯な行いです。

 ふたつめ、正義につく勇気を養おう
正しい行いをすることは時に勇気が要ります。例えば 人助けをしたり、悪いことをしている友達をいさめたりすることは 結構勇気が要りますね。でもその正義を実行する勇気を持ちましょうということです。それができる人間は とてもかっこいいですね。

 みっつめ、自律の精神で貫こう
いやだな、つらいな、めんどうくさいなと思っても、ぐっと我慢して、やるべきことをやる。そういう強いこころを持とうということです。

今言った校訓の三つのことばは 全部の教室の黒板の上に掲げてあります。今から教室に入ったら、自分で読んでみてください。そしてそれを実行できる人間になろうと思ってください。

さあ、みなさん 始まります。いっしょに勉強しましょう 楽しみましょう がんばりましょう。

平成2647


平成26年度 高校入学式 校長告辞

平成26年度 高校入学式 校長告辞

 新入生の皆さん、高校入学おめでとう。
 また保護者の皆様におかれましても、ご子息が義務教育を終えられ、高校入学というひとつの節目を迎えられましたことを、こころよりお祝い申し上げます。おめでとうございます。

今日から、芝浦工業大学中学校からの入学者149名に、新たに26名の仲間を迎えて、高校生活がスタートします。特に高校から入学した皆さんは、ことのほか緊張していることでしょう。確かに出来上がっている人間関係の輪の中に入るのは少し勇気が要りますね。ですから、ぜひクラブに入ることを勧めます。どんなクラブでもいい。そうすれば周囲とはすぐに打ち解けます。ぜひ積極的に飛び込んで行ってください。

 さて、つい4日前の新聞報道で次のような記事を見つけました。「宇宙太陽光発電、2030年代後半に実用化なるか」。皆さん宇宙太陽光発電って聞いたことがありますか。宇宙空間にタテヨコそれぞれ2.5キロメートルの巨大な太陽光発電パネルを浮かべ、そこで得られた電力をマイクロ波という電波で地上に送り、それをまた電気に再変換して使うという計画です。天候に左右されず、24時間発電できます。私がこの話を芝浦工業大学の教授から聞いたのは今から15年ほど前、ちょうど君たちが生まれる頃です。その教授は、宇宙から得られる電力で飛行機を燃料なしで飛ばすこともできるといいました。その時はまったくSFのような夢物語で、あくまでも理論上の話だろうと思っていました。
 しかし先日の報道では、技術的にもかなり研究開発が進んでおり、既に実証実験に入れる段階にあるということでした。実際に地上から無線で送った電力で無人の小型ヘリコプターを飛ばす実験などが行われたと書いてありました。びっくりしました。でも確かに驚きはしましたが、15年前ほどの驚きではありません。

実用化は今からさらに15年以上かかりそうです。皆さんが大学を出て社会の一線で活躍しているころですね。その15年後も、今ではとうてい不可能と思われるような技術が実現するかもしれません。さあ、どんなことが実現可能になるでしょうか、あるいは、なったらいいでしょうか、想像してみてください。
 ただ、想像するときに肝心なことを忘れてはいけません。それは皆さんの多くは、その想像している便利な科学技術を、15年後には作りだす側に立っているはずだということです。つまり皆さんは単に使う側の人間ではない。人類の夢を作る当事者になっているのです。本校卒業生の多くは、実際に理工系に進み、便利なものを発明し、作り、それを社会に提供する側の人間になっています。皆さんもそうなのです。単に使う人と作る人、この差はとても大きいです。皆さんにはその資格があるし、環境があるし、能力がある。ぜひ、夢を大きく持って、それを作り出して、人々を幸せに、笑顔にしてほしいと思います。

 最後に、よく高校の友は一生の友といいます。ですからぜひ友達をつくって、と言いたいところですが、皆さんのほとんどは既に知り合いです。そこで、私はあえて「ライバルを作ってください」と申し上げます。高校生となって新たなスタートを切る皆さん、ぜひライバルを作ってください。私の言うライバルとは、勝負を挑む相手という意味です。
 勉強でもスポーツでも芸術でも、あるいは性格でもいい。また例えば 英語はあいつ、数学はこいつ でもいいです。目標となる友人、すごいなと思える友人、絶対に負けたくない友人を探してください。そして、密かに、あるいはおおっぴらに、勝負を挑んでください。勝負を挑んだからには 勝たなければなりません。恥ずかしい負け方をしないように、勉強するんです。練習するんです。大いに友達と競い合いましょう。

 皆さんが夢を持って努力していけば、3年後、さらに7年後、15年後、皆さんの目の前に、素晴らしい道が広がることになるでしょう。本校はがんばる皆さんを全力で応援します。私も大いに期待しています。がんばりましょう。

平成26年4月7日